簡単にわかる日本の建築の歴史パート1
こんにちは、HaleNoaです(*^-^*)
久しぶりのブログ更新です。
以前建築の歴史についてちょこっと触れました。
そんな中おもしろかったのでもう少し簡単にわかる歴史について学びたいというご要望があったので
4週間の4部構成くらいでまとめてみました。
今回は日本に建築の歴史について歴史をさかのぼろうと思います(*^_^*)
さて、本日の癒しの一枚ですが、セブとおすすめツアー、アイランドホッピングでの海の色が変わっていくところを撮った写真です(*’ω’*)
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からだんだん明るくなって
↓ ↓ ↓
こんなエメラルドグリーンに(#^^#)
同じ海でも深さや場所によって全然表情が違うので見るだけも飽きないですよ!!
さて、話は戻り、先ほどの歴史についてまずは日本から。
現代から1万年以上も前は、竪穴式の地下住居での暮らしをしていたことは、現代人からは想像しにくい現実でしょう。
そして、日本の建築はそこからみるみる成長しているので、今回ははじめの原始時代の建設から解説しましょう。
現代は、その技術の高さから世界でも評価される建築を作り上げることができる日本。ですが、繊細さは兼ね備えていたものの原始の時代からそのような技術があったわけではありません。
とはいえ、日本の建築の始まりは原始からすでに始まっていますので、ご紹介します。
大陸から人が渡り建築が始まる
冒頭でもご紹介したとおり、1万年以上も前は地下を繋げ合わせる竪穴式住居で、狩猟、漁業を中心とした生活を送っていましたが、大陸から島国の日本に人が渡ってきたことでがらっと変わりました。
日本は朝鮮や中国の影響を受けている
朝鮮半島や中国からの影響を強く受けており、中でも青銅や鉄器も伝わってくると、水耕栽培や共同作業といった概念がうまれるようになり、建物も大きく変化し、地上に建てられるようになりました。
国風を取り入れる様になり日本の建築がうまれる
建築を行う様になったきっかけは、中国や朝鮮半島から人が渡ってきたことで、有名な建築物で言えば法隆寺や薬師寺東塔、東大寺などはかなり大きな影響を受けています。
国風を取り入れた建物やそこに至ったきっかけはどのようなものがあるのかもご紹介しましょう。
国風化したきっかけは「遣唐使」
影響を受け続けていたにも関わらず、平安時代から急に国風化に至ったのは遣唐使が廃止され文化を取り入れることがなくなったからと言われています。
柱はぐっと細くなり、天井も低いものが取り入れられるようになりました。代表的な建築物といえば、平等院鳳凰堂や室生寺金堂などが国風化している建物といえるでしょう。
国風化により建物はより一層発展
国風化により、日本の風土や嗜好にあった建物が圧倒的に増えました。その美しい建造物は現代人の心も癒やしており、国風化したことにより日本の建築は技術を高めていきました。
藤原一族の影響でさらに国風化が進む
藤原一族が朝廷と婚姻関係となったとき、貴族の文化が取り入れられ豪華で華やかな印象の建物が増えた事から日本色の建築物の技術が向上しました。
貴族が住まう住居として有名なものは寝殿造で内部の装飾も大和絵に変化していったことで、日本らしい美しい住居が作られるようになったのです。
時代と共に変化してきた日本の建築
原始の時代から国風文化が取り入れられたところまでをみても、めざましい変化をしていることがわかります。
そこからは日本人の技術の高さや繊細さが伝わってくるようですが、このように様々な影響を受けながら日本の建築は時代と共に変化してきました。
現代も進化を続ける日本の建築が世界から注目される理由といえるでしょう。
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