簡単にわかる日本のインテリアの歴史パート3
こんにちは、HaleNoaです(*^-^*)
先日、初めて愛媛の松山に行ってきました。
そうです、もちろんこの寒い季節、目的は道後温泉です!!(笑)
今回行った旅館は
「奥道後 壱湯の守」
です。
写真はお部屋についている露天風呂です。
仕事の関係もあって遅くのチェックインになったので急ぎ目に露天風呂に直行。
ちょっとびっくりしたのは、まず広いの一言。
ライトアップされた山を見ながらゆっくりと湯につかる、まさに癒しのひとときでした。
ちょっと硫黄のにおいが強烈ですが、すぐに慣れます(*^-^*)
広い、露天風呂がななななんと、6個以上!!
それぞれ特徴があり、一泊では正直堪能しきれないです💦
今度は家族とプライベートでゆっくり来てみたいなって思いました(*’ω’*)
さて、本日も前回に引き続き世界のインテリアのつづきについて書いていこうと思います。
現代イタリアの家具デザイン
80年代の否定
80年代に均質的なモダニズムのデザインを否定するようなデザインがイタリアに出現してきました。
その動きはすでに60年代に用意されていました。
例えば、1966年エットーレ。
ソットサスが赤いストライプや黄色いペイントを施したカップボードのデザインをしています。
広告用のセットのように見えるこうしたデザインは明らかに、それまでの禁欲的なモダンデザインに対する否定的気分を表していました。
こうしたポップな表現は、やがて80年代におけるいわゆるポストモダン・デザインの表現へと結びついたのはないかと言われています。
従って、ポストモダン・デザインはポップな表現のバージョンアップとみることができます。
こうしたデザインは、グループ「メンフィス」や「アルキミア」が中心となって展開しました。
グループ「メンフィス」
メンフィスはミラノでエットーレ・ソットサスを中心にして、1981年に結成されたデザイナーの集団です。
それは80年代のデザインの状況の一つのフェーズを代表していたと言えます。
メンフィスのデザインの特徴は、ソットサスやデ・ルッキの家具のデザインに見ることができます。
子供の使う玩具のように鮮やかな色彩と、それまでの大量生産品には見られなかった自在な形態で、無国籍です。
そうしたデザインがメンフィスのデザインに共通していました。66年のソットカスから繋がるものです。
消費社会が生み出したポップなものの伝統の延長にあったと言えます。
メンフィスの名付けと大量消費社会
メンフィスという名前は、ボブ。ディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」から採られました。
名前の付け方からして、いかにもポップな感覚を示しています。
当初のメンバーでは、マルコ・ザニーニ、マッティオ・ティユンなどがいます。日本からも梅田正徳が参加しています。
また、ポップはアンディ・ウォホールが指摘していた通り、アメリカ的な生産と経済のシステムの産物であります。
フォード主義とケインズ主義を背景とした大量生産消費社会こそポップを生み出したと言えます。
80年代になると、マシン・テクノロジーに変わって電子テクノロジーを背景にした電子情報資本主義が出現して、デザインも変貌します。
まとめ
モダンデザインの否定としてのポップへのバージョンアップは、メンフィスを中心とされます。広告用の看板のように見えて、開放的なデザインとなりました。
「HaleNoaってどんな家建てるの? vol.69」
2Fのゆっくりと時を想う、落ち着きある和室空間。
HaleNoa project 設計士
vol.69 ガレージの家(2F和室)
Leave A Comment