簡単にわかる世界のインテリアの歴史パート4
こんにちは、HaleNoaです(*^-^*)
本日は、また、食レポです(笑)
先日大阪に行く機会があり、リーガロイヤルホテル大阪の中の
「リモネ」
というレストランに行きました。
目的は、大人気メニュー
「海の幸ピラフ」
こんな贅沢でおいしいピラフは生まれてはじめて(*’ω’*)
素材にこだわっているので何とも言えない香ばしい魚介の風味がしっかりピラフを包み込んでいて、旨味が凝縮していました。
食レポは得意ではないのでこれくらいで伝わると良いのですが。。。💦
私もピラフは作りますが、冷凍の炒めるだけのものか、頑張ってもシーフードミックスをつかったものですから(笑)
なかなかピラフが大好物という方は、なかなか珍しいかもしれないですけど是非足を運んでみてください!
さて本日は、日本のインテリアの歴史の最終回となります。
4部にわたり、結構駆け足で書いてますので興味のある方はもっと詳しく勉強してみてください。
ネットでもたくさんの情報がありますのでご参考までに(*^-^*)
1.「間」から「空間」へ
現在は多くの人がデザインとデコレーションを意識して使い分けるようになりました。
理解されていなかった1960年代前半に日本において、「インテリアデザイン論争」が起こりました。
モダニズムを志向する建築家たちは「インテリアデザインは不要だ」と判断したのでしょう。
日本には内と外、表と裏、陰と陽と言った二元論はありましたが、インテリアとエクステリアというように空間を二つに分けるとその境界は曖昧で、縁側、広縁のような内と外の中間領域、グレーゾンが存在します。
また五重の塔の内部は人が入る空間ではなく、インテリアは存在しませんでした。
回廊の内側の敷地がすでにインテリアで、五重の塔はインテリアオブジェであったのだろうか。
「間」とは、物と物と間の空間です。
元その中心になるところを言います。時間的な感覚についてもいいます。
室内を意識させるものとして日本には茶室が喘い、それは日常から切り離された孤立した間であり、茶室の室は、インテリアを意識したものであり、また数寄屋大工が手がける内装の仕事からもそれが外部と切り離された「異空間」であることがわかります。
茶室には「茶の湯」という形式、書、絵画、生け花など日本の伝統芸能が備わります。
室町時代に、西欧のインテリアとは別に存在し、内装から茶器、花瓶など道具類までデザインされ、工芸な造詣が深かったと言われます。
2.インテリアの発見
機械時代には抽象的で無方向な図式空間を構成しつつあります。
近代的インテリアデザインとは、近代的自我、人格を表現していました。
自己の空間の表現をし始める時期もうなずけるようです。
日本には空間という概念はなくスーパーフラットな世界だったかもしれません。
スペースは宇宙も意味し、インテリアはプライベートな内面的世界にも通じ、そしてモーリス・センダックの「怪獣たちのいるところ」ではマックスの部屋が突然、森になったり、海になったりする幻想的世界に通じています。
人間が生活する上でも、いすなどの家具と同じようにインテリアも体に近く、子供が成長していく上でインテリアが与える影響は大きいです。
日本でインテリア産業というと、狭い空間を有効活用するために工夫された雑貨をイメージすることから間の産業を彷彿させます。
まとめ
空間と間の息づく文化にあった日本のインテリアは、茶器や、花瓶など空気を濁さないものであったと言えます。西洋がきて、徐々に自己主張する次第です。
「HaleNoaってどんな家建てるの? vol.70」
限られた敷地を有効活用。狭いスペースだからこそその特性を活かす空間が出来上がります。
HaleNoa project 設計士
vol.70 スキップハウスⅡ
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