簡単にわかる日本のインテリアの歴史パート4
こんにちは、HaleNoaです(*^-^*)
少しづつ春を感じるこの季節、みなさんいかがお過ごしですか?
雪が全く積もらなかった珍しいシーズンでした。
松江は3.4回は積もるので温暖化の影響なのですかね、、、
さて。先日松江に住みながら、はじめて玉造温泉の「長楽園」にご縁があっていきました。
初めての混浴露天風呂で少し緊張しましたが、ゆったりとした時間を過ごすことができました。
日本一広い混浴露天風呂だけあって、まずその広さにビックリ。
お湯加減も丁度よく、さらに、ライトアップされていて幻想的なリラックス空間でした。
また、お料理も地元のお肉、お野菜がふんだんに使われていて、おいしくいただきました。
日本の古き良きおもてなし文化を感じたすばらしいひとときでした。
玉造温泉、また他の旅館にも泊まってみたいな~(*’ω’*)
さて、日本のインテリアの歴史も本日で最後となります。
上手くまとめれるかちょっと不安ですがよかったらみてみてくださいね。!(^^)!
1.「間」から「空間」
現在は多くの人がデザインとデコレーションを意識して使い分けるようになりました。
理解されていなかった1960年代前半に日本において、「インテリアデザイン論争」が起こりました。
モダニズムを志向する建築家たちは「インテリアデザインは不要だ」と判断したのでしょう。
日本には内と外、表と裏、陰と陽と言った二元論はありましたが、インテリアとエクステリアというように空間を二つに分けるとその境界は曖昧で、縁側、広縁のような内と外の中間領域、グレーゾンが存在します。
また五重の塔の内部は人が入る空間ではなく、インテリアは存在しませんでした。
回廊の内側の敷地がすでにインテリアで、五重の塔はインテリアオブジェであったのだろうか。
「間」とは、物と物と間の空間です。
元その中心になるところを言います。
時間的な感覚についてもいいます。
室内を意識させるものとして日本には茶室が喘い、それは日常から切り離された孤立した間であり、茶室の室は、インテリアを意識したものであり、また数寄屋大工が手がける内装の仕事からもそれが外部と切り離された「異空間」であることがわかります。
茶室には「茶の湯」という形式、書、絵画、生け花など日本の伝統芸能が備わります。
室町時代に、西欧のインテリアとは別に存在し、内装から茶器、花瓶など道具類までデザインされ、工芸な造詣が深かったと言われます
2.インテリアの発見
機械時代には抽象的で無方向な図式空間を構成しつつあります。
近代的インテリアデザインとは、近代的自我、人格を表現していました。
自己の空間の表現をし始める時期もうなずけるようです。
日本には空間という概念はなくスーパーフラットな世界だったかもしれません。
スペースは宇宙も意味し、インテリアはプライベートな内面的世界にも通じ、そしてモーリス・センダックの「怪獣たちのいるところ」ではマックスの部屋が突然、森になったり、海になったりする幻想的世界に通じています。
人間が生活する上でも、いすなどの家具と同じようにインテリアも体に近く、子供が成長していく上でインテリアが与える影響は大きいです。
日本でインテリア産業というと、狭い空間を有効活用するために工夫された雑貨をイメージすることから間の産業を彷彿させます。
まとめ
空間と間の息づく文化にあった日本のインテリアは、茶器や、花瓶など空気を濁さないものであったと言えます。
西洋がきて、徐々に自己主張する次第です。
「HaleNoaってどんな家建てるの? vol.74」
プライベート空間を大事にするため、2Fにデッキテラスを設けました(*^^)v
HaleNoa project 設計士
vol.74 デッキテラスの家(外観2)
Leave A Comment