簡単にわかる日本のインテリアの歴史パート1
こんにちは、HaleNoaです(*^-^*)
最近の気温の温度差が激しすぎて暑くなったと思ったら寒くなったり、、
みなさんも体調管理に気を付けてくださいね。
先日、会社の健康診断に行きました。
色々な検査がありましたが、やっぱり最後のオオトリ
そうです。
「胃カメラ」
です💦
何回やってもあれだけはなれません。
私は、最初口からではなく鼻からを選んだのですが、(鼻の方が楽という噂を聞きまして。。。)
鼻からのどにつながる穴が人より小さいらしくなかなか通らず苦戦💦
看護師さんではできなくて、最後お医者さんにやってもらうことに。
正直、あのなかなか入らないときが一番痛かったです。(-.-)
なので、あの時以来、ずっと口からやってます。
みなさんは、どちら派ですか?(笑)
検査は嫌ですけど、しっかり診てもらうことは大事なこと。
来年も「口から」で頑張ります。(笑)
こんな私個人の健康診断のお話で申し訳ないので
最近iphoneのポートレート機能を使って撮った写真をアップします。( ;∀;)
スマートホンはどんどん進化していきますよね。
鳥の置物が良い感じで馴染んでて居心地よさそう(*’ω’*)
さて、本日からはまたまた4部構成で日本のインテリアの歴史について書こうと思います。
本日は第一弾、「日本のインテリアの歴史」です。どうぞ!
日本の住まいの原型あるいは生活様式は、建築とインテリアが一体化して発達したが、家具は(いす)はどう変わったのでしょう。
江戸時代までの家具は、当時の支配階級のための装飾化された調度類として存在したが、次の明治時代に鎖国が解かれて諸外国との交流が盛んになり、いす式による生活の洋風化が導入されました。
明治末期〜大正時代に入ると、専門店や百貨店で家具の製作・販売が行われるようになり、中流階級では接客用の洋館が出現し、いわゆる洋家具が作り始められました。
そして中頃になると、生活様式を家族本位にといった生活改善運動が始まり、一部に椅子の量さんの兆しが現れ、関東大震災後の復興は、生活文化の向上に大きな弾みを与えました。
昭和時代に入り「木のめ舎」などによる新しい生活のための家具の試みが行われたり、国立の工芸指導所による指導的活動も盛んになってきました。
中でも同指導所の設計・製作指導による
戦後の進駐軍家族用家具の大量供給は、日本の家具製造のレベル向上に大変役立ちました。
ダイニングキッチンのスペーズが現れ、椅子に座って食事をとると言った、いす式生活の典型とも言えるもので、多くの話題を呼びました。
そして一方では、いすの支持面の機能実験とその応用への取り組みやJISによる学校用家具の採用も実現しました。
このような移り変わりを経て、百貨店を中心とした外国家具展の開催、家具のデザインコンペの実施、グッドデザイン運動の推進、Gマークの制定など、家具デザインが重要視されるようになりました。
1 .飛鳥時代〜江戸時代庄子
1)庄子
人が上に乗って座るすのこ状の台で、四脚の付いたもの、床子の上には薄縁や菅円座などを敷き、時には脇息を置いて使用した、平安時代になった宮廷調度に制定された、法隆寺東院夢殿に見られます。
2) 胡床
座に畳を敷き、人が上に乗ってあぐらをかいて座る座具の総称、東大寺正倉院に残っているものは「赤漆槻木胡床」といいます。
槻とは、ケヤキの古名です。
3)床ぎ
座を皮やひもで張り、脚が交差した折りたたみ式の腰掛け、狩り・戦い・儀式などで用いました。当初は胡床と呼んでいましたが、近世になり床ぎと呼んだり、将ぎと書くようになりました。
4)円座
い草などを束ねて芯材とし、蒲や菅などの葉を中心から渦巻状に巻き、止めて作った直径90cmほどの座具、男子の高位のものや来客用に使われました。
5)椅子
鎌倉時代以後は椅子と書くようになりました。方形で四脚、鳥居型の背もたれと肘が付き、腰掛けがあり、床子に似ていますが、座面がすのこ状ではんく平らなものです。
6)元子
兀は高くて上が平らの意で、少々横長で、四角い座に四脚の付いた木製の腰掛け、床に似ますが、座面が平らなものです。
まとめ 飛鳥から平安時代で様々な家具が作られました。それを宮廷の人が使っていました。今に通じます。
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HaleNoa project 設計士
vol.71 スキップハウスⅡ(インテリア)
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